時間が欲しかったはずなのに—「1人の休日」が教えてくれた「忙しい毎日」という幸せ

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「自分の時間さえあれば…」

二人の子どもを育てながら慌ただしく過ぎていく毎日に、私はいつも自分時間の不足を感じていました。
そんな中やってきた念願の「1人の休日」。でもいざその日が来ると、気力が湧かず、ただタスクをこなすだけで終わってしまいました。

過ぎ去った休日の「虚しさ」で気づいたのは、忙しい毎日の意外な正体でした。

いつも夢見ていた「1人の自由な時間」

「とにかく自分の時間が欲しい」ーそう思いながら毎晩布団に入る日々。

我が家は共働きで0歳と3歳を育てています。
妻は育休中ですが、昼間は下の子、朝夕は上のイヤイヤ3歳児にかかりっきり。私も仕事から帰宅後はお風呂に夕食、だっこや寝かしつけ。それが終われば洗濯や部屋の片付け、翌日の食事の準備をし、気づけば22時。
保育園のない休日は休みどころか朝から晩までみっちり育児と家事。

学生時代や結婚当初の頃も毎日「忙しい」と思っていましたが、今思えばそれは「自ら設計した忙しさ」でした。

「自分の時間=自分で使い道を決められる」

当時は当たり前だと思っていたその前提が、どれほど素晴らしいものだったか。

「今の自分には、1人の時間で使える時間がほとんどない」そんな思いが消えず、小さなイライラが積み重なっていく日々。

しかしそんなある日、ついに「1人の時間」がやってきました。

待ち望んだ「1人の休日」→でもいざ時間ができたら動けなかった

余裕のない私に気を使ってか、妻が2泊3日で子どもを連れて実家に行く機会を作ってくれました。1人家に残る私にとって、待ちに待った「自分の時間」。特に中日は休日でもあり、24時間完全に1人で過ごすことができます。

「やりたかったことが存分にできる」「自分の時間も気力も好きなことにつかえる」

妻と子どもを送り出した日、私はわくわくしながら「明日は何をしようか」と思いを巡らせ、いつもより夜ふかしして眠りました。

しかし翌日。いざその日なってみると、どうにもやる気が起こりません。

もう育児や家事に追われなくていい。仕事もない。
そう思うだけで気力が沸かず、時間だけが過ぎていく虚しさ。何もしないことに耐えられなくなった私は、気づけばいつも通り家事をこなし、なんとか時間をやり過ごしていました。

洗濯、買い物、料理、掃除…無限のタスクを次々処理するうちに、あっという間に夜になり、とうとう何も「やりたかったこと」をしないまま、1日は終わっていきました。

「忙しさ」による「制限」が、実は自分を動かす力になっていた

待ち望んだはずの「1人の自由な時間」。でも実際は気力が沸かず、かといって空白にも耐えられず、ただタスクで埋めるしか無い「虚しい時間」となってしまいました。

「なぜ時間があるのに動けなかったのか?」

1人シャワーを浴びながら考えた結果、普段の忙しさこそ、時間制限による集中と、「役に立っている」という自己効力感の源泉になっていたことに気が付きました。

  • 育児に追われるから、貴重な早朝やスキマ時間に集中して行動できる
  • 自分より子どもや家族を優先することで、確かな「やりがい」を感じる

つまり自分は、子どもに時間を「奪われていた」のではなく、子どものために時間を使うことを、「自ら選んでいた」のでした。

不足していたのは「時間」ではなく、自分で選んでいるという「気づき」

「自分の時間が欲しい」とずっとそう思っていました。でも実際に時間を手にして気づいたのは、自分はもう「自分で選んだ時間」を生きていたという事実。

子どものそばにいることも、家族のために料理をすることも、誰かに強いられたわけじゃない。ただ自分が選んだ結果。

「時間がない」と感じるとき、それは本当に時間がないのではなく、自分でそれを選んでいるだけなのかもしれません。

この日以来、育児で時間を奪われている感覚がなくなり、子どもや家族と楽に向き合えるようになりました。

「忙しい毎日」が、あなたの選んだ結果であったなら、それはきっと「充実した毎日」ではないでしょうか。

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