資産が増えても、自由になった気がしない?‐追い求めて気づいた本当の自由‐

追い求めて気づいた本当の自由とは お金

結論から言うと、本当の自由はお金だけでは買えませんでした。

…と書くと、いかにも精神論のように聞こえます。私もそう思っていました。
資産を積んで、ライフスタイルを整えて、条件を揃えれば自由になれる。
そう信じて、実際に行動してきました。

でも、それなりに揃えたはずの今、なぜか自由を感じられない。一番自由だったのは、むしろお金のなかった頃でした。

本当の自由とはなんなのか、構造から整理してみました。

資産が増えても、自由になった気がしなかった

いつものように子どもを寝かしつけた夜。
静かになった部屋で1人、家計簿アプリを眺めていました。

増える支出、伸び悩む収入、はるか遠い目標資産額⋯「もっと頑張らねば」とため息をつきながら、ふと考えました。

今の資産額は年間支出の数倍程度。目標には程遠いとはいえ、20代の頃からすれば夢のような水準です。

でも昔より自由になったという実感は正直ありません
家庭や仕事で求められる役割は増え、体力・時間・集中力は常に逼迫。忙しさや不自由感はむしろ増加しているとさえ感じています。

本当の自由は資産額ではないのでは?
そんな疑問が頭の中に浮かびました。

一番自由だったのは、一番お金がなかった頃

自由の正体とは何でしょうか?

資産額、時間、選択肢、安定、社会的地位⋯

人生で時間・選択肢が最多だったのは大学生時代
でも当時はお金がなく、奨学金+バイトで生計を立てており、自由という実感はさほどありませんでした。
「お金さえあれば…」いつもそう考えていました。

人生で最も資産額・安定・社会的地位があるのはまさに
でも仕事に育児、家事で毎日精一杯。正直自由とは程遠い状態です。

振り返ると、人生で最も自由を感じていたのは「就職してから子供ができるまで」の数年間という、最も資産の少ない時期でした。

あの頃あったのは、お金じゃなく「自力で生きている」という感覚

なぜ「就職してから子供ができるまで」は自由だったのでしょうか?

当時は貯金もほとんどなく、むしろ奨学金と自動車ローンで総資産はマイナス。仕事もあるので大学生ほどは自由時間もありませんでした。

唯一あったのは「自力で生きている」という実感
働いて給料を貰う。そのお金で生活できる。
学生時代の生きるだけで借金が増えるマイナスの日々から、小さくてもプラスの生活に変わった瞬間でした。

くろこ
くろこ

「自分の力で生きていける」「人生を変えられる」そう強く感じていました

そんな当時を思い出し、本当の自由とは「人生を自分でどうにかできる」と信じられる「精神的な自由」だと思い当たりました。

資産や安定は自由の「材料」で「本体」じゃない

自由をカレーとするなら、資産や時間は肉や野菜などの「材料」であり、精神的な自由が「カレーのルー」
各材料はカレーを構成する要素ですが、どんなに集めても決め手となるルーがなければカレーはできません。

もちろん、ルーだけで食べることもできませんが、逆にルーさえあれば、少しの材料でも満足いくカレーを作れる人はいるかもしれません。

精神的な自由こそが、自由かどうかを決定づける「本体」であり、自由の正体ではないかと思います。

世間は本体を「精神論w」と笑う

「精神的な自由」なんて言うと「精神論w」とか「負け惜しみ乙」と笑われるのが現代。

世の中には資産形成のノウハウも、時短術も、スキルの伸ばし方も、具体的で再現性のある情報が溢れています。それこそAIに聞けば無限に入手できるでしょう

それに比べると「心の持ちよう」みたいな話は、どこか不合理で、頼りない綺麗事のように聞こえます。

でも本当にそうでしょうか?

笑われているその「心の持ちよう」の方こそ本体で、ノウハウの方が、本体を欠いた部品ではないでしょうか?

本当に不合理なのは、精神を語ることではなく、精神を無視して条件だけを積み続けること

まるでルーが無いことを「気のせい」と言い張りながら、カレーを求めて肉と野菜だけを永遠に買い足しているような状態なのかもしれません。

くろこ
くろこ

足りないのは材料の量じゃなくて、本体ただ一つ

揃えれば成功でも、揃わなければ失敗でもない

でも「だから材料は重要じゃない」とも思いません。

私自身、貯蓄率を上げて資産を増やしたり、沢山の本を読んだり、家事や自炊を20年近く続けてきました。
そんな中、自由の材料を集め積み上げることこそ、本体である精神を育てる過程になると思います。

黒字家計を作れた時、自炊を継続できた時、そこで育つのは資産や節約術より、「自分の暮らしは自分でどうにかできる」という感覚
各行動は、その感覚を得て、精神面が育つための機会になると思います。

ただ、材料を集めれば勝手に料理ができるわけではないように、材料を揃えさえすれば自動的に自由になれるわけではありません。

一方逆に、思ったより少ない材料でも、自由の感覚を持てる人はいると思います。
かつての私のように。

各材料と精神は順番の問題ではなく、意識して連動させているかの問題。

重要なのは「全部揃えてから自由になる」のではなく、揃える過程で、本体である自らを育てているかどうかではないでしょうか。

今あなたが育てているのは材料?本体?

ここまで読んでこられたあなたはきっと、自由を求め、努力して材料を揃えて来られた方だと思います。

もしそんな中で自由を感じられていないなら、一度問いかけてみてください。

今あなたが育てているのは材料でしょうか、それとも本体である自分の精神でしょうか?

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